父は母を殴った。歯を折ったこともある。皿が飛んできたこともある。
年長の頃、ある朝起きたら母がいなかった。その後、数ヶ月間、祖母の家で暮らしたことを覚えている。父と母は離婚の手前まで行ったらしい。私はまだ5歳か6歳だった。
でも、暴力だけが問題だったわけではない。DVが収まった後も、父の態度は変わらなかった。食事にケチをつける。テレビに向かって誰かを罵倒する。私の将来について怒鳴る。母はその隣でずっと黙っていた。
あれは「穏やかな家庭」ではなかった。暴力があり、そしてそれが収まった後もモラハラが続いた。父親がDVとモラハラをしている家庭で、私は育った。
父親から母親へのDVとモラハラ
父の暴力は複数回あった。殴って母の歯を折り、皿を投げつけた。当時の私は幼くて詳細は覚えていないが、怒声と物が割れる音は記憶に残っている。
だが私が長く苦しんだのは、むしろ暴力の「後」だった。DVが収まっても、モラハラは続いた。父の支配は、殴らない形で日常に溶け込んでいた。外面は良い。仕事では信頼されていた。子供の教育費もきちんと払った。世間的には「まじめで厳しい父親」だった。でも家の中では、母の存在が透明にされていた。
私が家庭で見ていた父の行動パターン
具体的に、父が母に対してどのような態度を取っていたか。子供の目から見えていたことを書く。
母の意見を「ないもの」として扱う
母が何か意見を言おうとすると、父は遮るか無視した。「お前にはわからない」「黙っていろ」。直接そう言うこともあれば、母の言葉をまるで聞こえなかったかのようにスルーすることもあった。結果として、母は家庭内で発言すること自体をやめていった。
「私は犠牲を払ってきた」の繰り返し
父は帰省するたびに同じフレーズを繰り返した。「私はお前たちのために我慢して働いてきた」。母の家事や育児の労力は一度もカウントされない。父だけが犠牲者で、母はいつも「してもらっている側」だった。
人前で母を見下す発言をする
父はテレビを見ながら、女性タレントや政治家の妻について侮辱的な発言をすることがあった。母の前で、だ。それは母への直接的な攻撃ではないが、「女性の尊厳を軽視する空気」を家庭に充満させていた。母はそれを聞きながら、何も言えなかった。
怒りのスイッチが読めない
昨日は普通だったことが、今日は地雷になる。料理の味付け、テレビのチャンネル、子供の態度。父の怒りのトリガーはランダムだった。母も子供も、常に地雷原を歩くような緊張感の中で暮らしていた。
母はなぜ黙り続けたのか
母は一度、家を出ている。DVがひどかった時期に、離婚を覚悟して祖母の家に避難した。私もその時、母と一緒に祖母の家で数ヶ月を過ごした。結局、離婚には至らなかった。子供に父親がいない思いをさせたくなかった、父には暴力を振るう一方で愛情が深い面もあった、家庭に根付いた宗教的な価値観から離婚が根本的な解決にならないと考えていた、そして最終的に父に言いくるめられた――理由はいくつも重なっていたのだろう。
正直に言えば、私は今も父が嫌いだ。離婚してくれても構わなかった。でも母には母の判断があり、その重さは子供の立場からは計れない。
母が戻った後も、沈黙は続いた。母の世代には「モラハラ」という言葉がなかった。殴られなくなった以上は「解決した」ことになった。夫が怒鳴っても暴力がなければ「普通」。妻が黙って耐えるのは「できた妻」。そういう文化の中で、母は自分の苦しみを正当なものとして認識できなかったのだろう。
母の状態は、後から振り返ればカサンドラ症候群に近かった。体調不良が続き、ふらつきや転倒を繰り返していた。心身の不調は、長年の情緒的な消耗の結果だったのではないかと思う。
子供は「空気」を吸って育つ
父が母にモラハラをしている家庭で育った子供は、モラハラの「直接の被害者」ではない。でも、あの空気を吸って育つことの影響は甚大だ。
- 「自分の気持ちを出すと危険」と学習する:母が黙っている姿を見て、「意見を言う=攻撃される」と無意識に刷り込まれた
- バランサー役を背負わされる:父の怒りと母の沈黙の間で、場の空気を和らげようとする潤滑油役。私はこのタイプだった。一方で妹は父にチクチクと嫌味を返せるタイプだった。同じ家庭で育っても、黙って耐える子と反撃する子に分かれる。どちらにしても、子供がやるべき仕事ではない
- 「怒り」の扱い方がわからなくなる:父のように爆発させるか、母のように飲み込むか。健全な怒りの表現方法を学ぶ機会がなかった
- 暴力の記憶が消えない:物が割れる音、怒声、母がいなくなった朝。幼い頃の恐怖は、大人になっても身体が覚えている
- 「守れなかった」罪悪感:母が殴られているのを見ながら、何もできなかった。その無力感は大人になっても残っている
大人になって気づいたこと
ADHDの傾向に気づきて自分の過去を振り返ったとき、家庭で起きていたことの全体像がようやく見えた。
父は「悪人」ではなかった。ASD的な特性があり、感情の表現方法が極端に限られていた。母への暴力も、当時の父なりに追い詰められた結果だったのかもしれない。でも、理由があろうとなかろうと、母の歯を折った事実は消えない。その後もモラハラで母の尊厳を踏みにじり続けた事実は変わらない。
そして私自身、父のパターンを無意識に引き継いでいないか、常に自問している。「モラハラは連鎖する」と言われる。あの家庭で学んだコミュニケーションの型を、自分の人間関係に持ち込んでいないか。それを意識し続けることが、連鎖を断ち切る第一歩だと思っている。
最近になってようやく、父のことを少し客観的に見られるようになった。父にはASD的な特性があり、感情を言語化する回路が極端に弱い。「怒り」以外の感情の出口を持たない人だった。母への態度も、本人の中では「家族を守っている」つもりだったのかもしれない。
でも、理解と許容は別だ。父の特性を理解できたとしても、母が受けた傷は消えない。私が背負った影響も消えない。大事なのは「なぜそうなったか」を理解した上で、自分はそのパターンを繰り返さないと決めることだ。
今の私は、怒りを感じたとき一度立ち止まるようにしている。相手の言葉を遮りそうになったら黙る。「私は我慢してるのに」という思考が浮かんだら、それは父の台詞だと自分に言い聞かせる。完璧にはできない。でも意識するだけで、少しずつ変わっていくと信じている。
同じ経験をした人へ
父親が母親にモラハラをしている家庭で育った方へ。あなたが感じていた違和感は、正しい。あの家庭は「普通」ではなかった。
そして、母を守れなかったことは、あなたのせいではない。子供に親を守る義務はない。
もし今も家庭の影響で生きづらさを感じているなら、専門家に相談することを勧める。
※この記事は専門家の監修を受けたものではありません。モラハラ家庭で育ったADHD当事者の個人的な体験と考察です。深刻な問題を抱えている方は、必ず専門家にご相談ください。
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この記事は筆者の個人的な体験に基づくものであり、医学的・心理学的な診断や助言を目的としたものではありません。家庭や心の問題でお悩みの方は、カウンセラーや心療内科、法テラス(0570-078374)、よりそいホットライン(0120-279-338)などの専門窓口にご相談ください。

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